岡田武史氏による講演 ~学生団体横断交流会より

サッカー元日本代表監督・岡田武史氏が語る「異文化理解のために必要なこと」
――2022年11月13日開催「学生団体横断交流会」(JACCCO主催)講演より

11月13日、日中友好会館にて


「日本人と中国人はちがう考え方や価値観を持っています。特にみなさんと中国の若者が心をひとつにするなんてそう簡単なことではありません。むしろ、ぶつかることが多くあって当然でしょう。それでも、相手の存在を受け止めて、ちがいを受け入れて、そして一緒に何かを達成しようと行動するなかで、だんだんと相手のことを理解できてくるのです」

2022年11月13日、JACCCOが主催する「学生団体横断交流会」に登壇したサッカー元日本代表監督の岡田武史氏は、日中交流などを推進する学生団体のメンバーら約100人に向かってそう語りかけた。現在、愛媛県に拠点を置くクラブチーム「FC今治」の運営会社でオーナー兼CEOを務める岡田氏。2012年から2013年までは、中国浙江省にあるクラブチーム「杭州緑城足球倶楽部(通称:緑城)」で日本人として初めて中国スーパーリーグでの監督を務めた。

自身が体験した日本と中国の文化のちがい、異文化理解のために必要なこと、そして若者に伝えたいこと――ユーモアを存分に交えた60分の講演のなかで岡田氏が学生たちに強調したのは、〝同じ目標に向かってともに進むこと〟だった。



中国、異文化との出合い
 2010年、2度目の日本代表監督として参加した南アフリカW杯を、ベスト16の成績で終えた岡田氏。代表監督退任後には、Jリーグのチームから監督就任のオファーが届いた。だが、これまでにもJリーグでの監督を務めた経験のある岡田氏には、「また同じことをやってもつまらないな」という思いが漠然とあった。そんな折、全く想定していなかったところから岡田氏のもとへオファーが届いた。それが、中国浙江省にあるクラブチーム「緑城」だった。

 〝これは面白くなりそうだ!〟と直感した岡田氏。視察のための準備を手早く整えて、成田空港から直通便に乗って浙江省・杭州市へ向かったのは、2011年の冬のことだった。

僕が中国のクラブチームでの監督就任を検討していた当時、「どうして岡田はわざわざ中国サッカーのレベルを上げにいくんだ?」という批判の声が一部にありました。しかし、真に日本サッカーのレベルアップを図るなら、アジア全体のサッカーのレベルを上げる必要があると僕は常々考えていました。アジアのなかで日本だけ強い状態が続けば、長期的には南米やヨーロッパのチームからどんどん実力を離されてしまう。アジア最大の国である中国が強くなって切磋琢磨することで、日本はもっと強くなれると思うんです。

 そうした思いを胸に秘めて降り立った杭州の地。空港から車で1時間半ほど走ったところに、緑城のクラブ施設はあった。そこには、全部で8面あるグラウンド、小さなスタジアム、プールやバスケコートなど、「ヨーロッパのクラブチーム並み」の設備が揃っていた。

 しかし、それ以上に岡田氏を驚かせたのは、才能にあふれた18歳以下のユース・チームの選手たちだった。その後の視察で訪れた日本人コーチ陣たちも一様に認めるほど高いポテンシャルを持った若い選手が中国にはいた。

 〝彼らをしっかりと育てたら世界と戦えるかもしれない〟と期待に胸を膨らませた岡田氏。緑城で監督を引き受ける決心はすでに固まっていた。


 ところが、監督に就任して、実際に選手たちの指導にあたるなかで、岡田氏は日本と中国の「サッカー文化のちがい」に直面せざるを得なかった。

緑城のユース・チームには才能溢れる選手が多くいました。しかし、それから数年が経っても、結局そこからは1人も育たなかった。なぜなら、彼らには〝夢〟がなかったからです。そこには、中国サッカー界が行う育成法が関係していました。

中国では小さい頃から才能のある選手を集めて寮生活をさせ、指示通りに練習させるという〝エリート教育〟が行われます。つまり、選手たちは言われたことだけを淡々とこなしていくんです。そうした環境で育った彼らは「将来は海外のクラブチームでプレーをしたい」「W杯に出て活躍したい」というような具体的な夢を持つことがなかったんですね。

 文化のちがいを感じる瞬間は他にも多々あった。たとえば、ある試合の前日に、緑城のある選手が岡田氏の元を訪ねて、「明日戦う相手チームのコーチと晩御飯を食べに行っても良いですか」と聞いた。「明日俺たちが試合をするチームだぞ。食事には行かないでくれ」と答える岡田氏。すると、選手からは次の言葉が返ってきた。

 「監督は、僕がクビになったら、次のチームを紹介してくれますか? 今、ここで相手チームのコーチと一緒に食事をして関係を築いておけば、僕がクビになったとき、その人が次のチームを紹介してくれるかもしれないでしょう」と。中国人選手の考え方、ひいては中国社会の成り立ちをどこか垣間見たような瞬間だった。

「俺はお前たちを信じる」
 日中の文化のちがいに直面していた岡田氏にとって大きなヒントとなったのは、尊敬する2人の先輩からの言葉だった。1人は京セラを創業した実業家の稲盛和夫氏。もう1人はアーティスティックスイミングのコーチとして中国チームを指導した経験のある井村雅代氏。2人が岡田氏に語った言葉は奇しくも一致していた。

 「岡田君、中国人だからといって特別に変える必要はない。日本人と同じようにやればいいんだよ」――2人の言葉に触れて、岡田氏も日本人と同じように中国人に接し、日本人選手を信じるのと同じように中国人選手も信じようと決め、チームビルディングに取り組んだ。

 

 岡田氏が最初に取り組んだのは、緑城としてのチーム・フィロソフィーを示すことだった。全部で6つあり、それぞれ「Enjoy」「Our Team」「Do Your Best」「Concentration」「Improve」「Communication」になる。

 たとえば、〝エリート教育〟を受けてきた緑城の選手たちはサッカーを「Enjoy」する心をどこかで置き去りにしてしまっていた。練習時間前にボール遊びをする選手はどこにもおらず、練習終了時刻になればみな一斉に寮へ引き上げる。

 また、試合で誰かがミスをして失点しても、自分は関係ないと言わんばかりに靴ひもを結びなおすことに集中する選手たちには、「Our Team」という感覚が欠如していた。そうした現状を岡田氏はひとつひとつ粘り強く改善していった。

「俺はお前たちを信じる」と事あるごとに僕は緑城の選手に語ってきました。裏切られたこともありましたが、とにかくそう言い続けました。中国式のエリート教育のような管理を僕は決してしたくなかった。ルールによって縛り付けても、チームは強くならないからです。大切なのは、自発的に考えて行動するモラルを築くことですから。

僕がそう指導し続けるなかで、みんなもだんだん分かってきたんです。「これは自分たちで考えて、やるしかないんだな」と。それからチーム全体の雰囲気が少しずつ変わっていきました。

 ある日の試合で、岡田氏はこれまで起用していたレギュラー選手ではなく、若手選手を中心とした編成で、緑城がこれまで一度も勝ったことのない強豪チームとの試合に臨んだ。それは当時のチーム内の事情を考慮して下した苦渋の決断だった。

 〝ここで負けたら自分はクビになるかもしれない〟と思って臨んだその試合で、なんとチームは強豪相手に初勝利を収めた。それは単なる勝利ではなく、「Our Team」の精神でつかんだ大金星だった。

 試合後のグラウンドには肩を組み合って、大声で喜びを爆発させる選手たちの姿があった。それは岡田氏が緑城の監督に就任した当初には決して見られない光景だった。

文化で平和に貢献する
 今では練習前にもボール遊びをする選手の姿が見られるなど、岡田氏が監督を務めた2年間で緑州の雰囲気は随分と変わった。また、「本気で選手にぶつかっていった」岡田氏の熱意が通じたのだろう。監督を辞めた今でも、当時指導した選手から個人的な相談を受けることがある。岡田氏が杭州に行くと、差し入れを届けてくれるチームスタッフもいる。裏方で働く人たちとも岡田氏がしっかりとコミュニケーションを取っていたからだ。

 講演の終盤、岡田氏は自身が中国行きを決めた根底にある平和への思いとともに、学生たちへ期待を語った。

僕が中国行きを決めた理由のひとつは、国境ではなく、サッカーという文化を通した仲間を作ることで、未来の平和に貢献できないかと考えたからなんです。サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』という本で、6つの文明がぶつかる東アジアではいつか大きな争いが起こると予言しました。中国は東アジアのなかで最も大きな国ですから、そこで自分は平和への貢献をしたいと思ったんです。

中国では多くの友人ができました。彼らとは数え切れないほどケンカをして、ぶつかり合った。それでも、価値観のちがう相手をこちらが信じて、受け入れて、そして共通の目標を掲げて一緒に進み続けました。そうするなかで、お互いのことがだんだんと理解できるようになったのです。

 国境を越えた、文化でつながりあう仲間がいれば、それが世界を救うかもしれないと僕は考えています。スポーツも文化だと思っている僕は、そうした思いを持って中国に行きました。これからはみなさんにもぜひ中国とそういう付き合いをしていってもらいたいのです。

 会場には岡田氏の言葉を聴いて、何度も深く頷く学生たちの姿が見られた。講演終了後には岡田氏と学生との間で活発な質疑応答が繰り広げられた。


<学生とのQ&Aセッションより>


学生A もし岡田さんが監督という立場を持たないただの一般人だったら、日中の平和友好のためにどのようなことをしていたと思いますか?

岡田氏 その仮定は正直に言って、僕にも分かりません。一緒に会社を起こしていたかもしれないし、何か他のことをしていたかもしれない。僕は、人生は自分の思い通りにはいかないものだと思っているんです。何かを計画することは良いけれど、大切なのは一歩前に踏み出すこと。「日中の平和友好」を真剣に考えたうえで、ささいなことでもいいからまず何かをやってみること。そのなかで新しい気づきがあるし、次に自分が進むべき道が自然と見えてくるはずです。だから、監督ではない自分が何をしていたかは、今の僕にも分からないんです。

学生B 異なる国籍や文化を持つ人と相互理解をする上で大切な心構えは何でしょうか?

岡田氏 ひとつだけです。それは〝自分をさらけ出すこと〟。格好つけて、表面上だけのお付き合いをしていたら、それでは相互理解はできない。自分の弱さ、ずるさなんかも含めて、きちんとさらけ出す。そうすると次第に向こうも自分をさらけ出す。そこで衝突が生まれるかもしれないけど、それを乗り越えたときに相互理解が生まれるのだと思います。

学生C 文化交流をする際に、文化のちがいを認めつつ、そこに優劣をつけないことを個人的には大切にしています。岡田監督は緑城のチーム・ビルディングをする際に、日本のやり方を中国に当てはめたのかもしれませんが、逆に意識的に中国の文化に適応した例はありますか?

岡田氏 日本文化を中国に無理やりに当てはめたというよりは、日本人にもやってきたやり方を中国人にも適応させたというだけです。サッカーの指導法に関しては、「日本人と中国人を分けて考えない」ように僕はしたんです。
 
 そのうえで、中国人との価値観のちがいに直面することは多くありましたが、意識的にそこに自分を合わせることはしませんでした。と同時に、日本の常識を彼らに押し付けることも決してしませんでした。大切なのは、自然体でいることではないでしょうか。

 

【プロフィール】
岡田武史:1956年生まれ。これまでに日本代表監督を2度務める。Jリーグではコンサドーレ札幌や、横浜F・マリノスでの監督を歴任。2012年から2013年までは中国スーパーリーグの杭州緑州で監督を務める。2014年より現在まで、当時の四国地域リーグに所属していたFC今治(現在Jリーグに所属)の運営会社「株式会社今治.夢スポーツ」のオーナー兼CEOを務める。

文&写真:河内滴